マルチプル法の計算についてM&Aのプロが解説
「EV/EBITDA法ってよく聞くけど、実際どうやって使えばいいの?」「自社のM&A値決めに使えるのか、計算の仕組みをちゃんと理解したい」――そんなお悩みを抱えている方に向けて、本記事ではM&A現場で使われているマルチプル法(EV/EBITDA法)の本質と活用法をわかりやすく解説します。
■本記事でわかること
- EV/EBITDA法の基本構造と計算ステップ
- 2〜10倍という倍率相場の理由と背景
- 年買法やDCF法との違いと適用判断の目安
本記事の筆者は、中小企業庁登録のM&A支援機関であり、M&Aアドバイザー歴10年以上・累計200件以上の成約支援を行ってきた現場経験者です。「実務で本当に使える知識」にこだわって解説しているため、安心してご活用いただけます。
この記事を読み終えるころには、EV/EBITDA法の仕組みや相場感、注意点を理解し、自社にとって最適な値決め判断の土台を築けるようになります。M&Aでの高値づかみを防ぎたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
1.EV/EBITDA法とは?M&Aにおける基本概念を解説
1.1 そもそもEVとEBITDAとは何か
EV/EBITDA法を理解するうえで、まず押さえておくべきは「EV」と「EBITDA」という2つの用語の意味です。どちらもM&Aでの企業価値の算定に用いられる重要な指標であり、その計算根拠を正しく理解していないと、誤った値決めや過大評価・過小評価につながる恐れがあります。
まずEV(Enterprise Value)は、企業の事業全体の経済的価値を表す指標です。これは、企業が本業から将来にわたってどれだけ利益を生み出せるかを投資家や買い手が評価するために用います。計算式は以下の通りです。
項目 | 内容 |
---|---|
EV(企業価値) | 株式時価総額+有利子負債-現預金 |
一方でEBITDA(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization)は、「利息・税金・減価償却前利益」と訳され、企業の本質的なキャッシュフローを測る利益指標です。つまり、企業が日々の事業から生み出す純粋な稼ぐ力を表します。EBITDAは以下のように計算されます。
- EBITDA = 営業利益 + 減価償却費
EBITDAを使う理由は、減価償却や金利、税金といった企業ごとの制度や資本構成の違いを排除し、「事業の稼ぐ力」に焦点を当てられるからです。このため、買い手企業が複数の候補先を比較する際に公平な評価が可能となります。
たとえば、同じ2億円の営業利益を出していても、借入が多く利息負担が重い企業と、自己資本比率の高い企業では、実際に株主に残る利益は異なります。しかしEBITDAでは、その差を考慮せずに比較することができます。
このように、EVは企業の「買う価値」、EBITDAは「稼ぐ力」であり、これらを組み合わせたEV/EBITDA倍率は「稼ぐ力の何年分で事業を買うのか」を表す指標となります。
1.2 EV/EBITDA法と企業価値評価の違い
EV/EBITDA法は、M&Aの現場で使われる「値決めのための計算方法」のひとつです。一方で、混同されやすいのが「企業価値評価(バリュエーション)」との違いです。実はこの2つは目的もプロセスも異なります。
企業価値評価とは、対象企業がどの程度の「経済的価値」を持つかを、理論的・客観的に評価するための手法であり、DCF法やマルチプル法(類似企業比較法)などが代表例です。一方、EV/EBITDA法は、買い手が「いくらまでなら買ってもいいか」という主観的な上限価格を定めるためのプライシング手法です。
項目 | 企業価値評価(例:DCF法) | EV/EBITDA法 |
---|---|---|
目的 | 客観的な経済価値の評価 | 買収上限価格の設定 |
計算根拠 | 将来キャッシュフローの理論的分析 | 経営者の許容倍率に基づく |
適用場面 | バリュエーション報告書など | 入札価格の上限決定 |
たとえば、企業価値評価では将来キャッシュフローや資本コストなどを緻密に分析して理論価格を導き出しますが、EV/EBITDA法は「EBITDA×〇倍」というシンプルな計算式で値決めを行います。これは実務での意思決定スピードを重視するM&Aの現場で、多くの企業が採用する理由でもあります。
さらに、EV/EBITDA法は買い手ごとに倍率が異なるのが特徴です。たとえば、同じEBITDAを持つ企業でも、ある買い手は「5倍まで出せる」と判断し、別の買い手は「7倍まで出しても価値がある」と判断することがあります。これはシナジー効果の期待度や経営戦略の違いによって生じます。
そのため、EV/EBITDA法はあくまで「買い手企業が出せる最大金額」を算出する手法であり、「この会社は客観的にいくらの価値がある」と断定するための評価手法とは異なります。
また、EV/EBITDA法は類似企業との比較によるマルチプル法と近い関係にありますが、次のような点で異なります。
- マルチプル法は市場の実績データから倍率を「推定」する
- EV/EBITDA法は経営判断で倍率を「決定」する
たとえば、ある上場企業群のEV/EBITDA倍率の平均が6倍であれば、マルチプル法ではそれを基に「対象企業もおそらく6倍前後だろう」と評価します。一方で、EV/EBITDA法では経営陣が「今回は5倍までに抑える」と意思決定する、という違いがあります。
このように、EV/EBITDA法は「値決め」、企業価値評価は「理論評価」として、明確に役割が分かれていることを理解しておくことが重要です。実際のM&Aでは、この両方を使い分けることで、適正な価格設定とリスク回避の両立が可能になります。
2.EV/EBITDA倍率は何倍が妥当?相場とその背景
2.1 一般的な倍率の目安は2~10倍
EV/EBITDA法を使ってM&Aの価格を決定する場合、一般的に「何倍が妥当なのか?」という疑問を持つ方は非常に多いです。結論から言えば、EV/EBITDA倍率は業種や企業規模、成長性などによって異なりますが、一般的な中小企業のM&A市場では「2〜10倍程度」が目安とされています。
これは、M&A支援の大手企業である日本M&Aセンターの調査データにも表れており、同社の実績や統計から見てもこの範囲内で多くの案件が成立していることが確認できます。バトンズやM&Aキャピタルパートナーズといった他の仲介会社も、似たような相場観を示しています。
たとえば、以下のように業種ごとに平均的な倍率の目安が異なります。
業種 | 一般的なEV/EBITDA倍率 |
---|---|
製造業 | 4〜6倍 |
IT・ソフトウェア業 | 6〜10倍 |
物流・運送業 | 3〜5倍 |
飲食・小売業 | 2〜4倍 |
医療・介護業 | 5〜8倍 |
このように、EV/EBITDA倍率には明確な「固定値」が存在するわけではなく、あくまで参考レンジです。投資家や買い手が許容できる回収年数やシナジー効果の期待度などによって、最終的な倍率が調整されます。
たとえばあるIT企業が年間EBITDAで1億円の利益を生んでおり、買い手が8倍まで出せると判断した場合、企業価値(EV)は8億円と見積もられることになります。その後、負債や非事業資産を加味して株式価値を計算します。
したがって、EV/EBITDA法を用いたM&Aでは、業種ごとの平均倍率を把握したうえで、個別案件ごとにカスタマイズして考えることが求められます。
2.2 なぜEV/EBITDA倍率に幅が出るのか
EV/EBITDA倍率が「2〜10倍」と幅をもって語られるのは、その数値が単純な財務データだけでなく、買い手の経営判断や市場の競争状況に大きく左右されるためです。これはEV/EBITDA法が本来「企業価値の客観的評価」ではなく、「買い手がいくらまで出せるかを決めるプライシング手法」であることに由来します。
倍率に幅が出る主な理由は以下の5点です。
- 買い手ごとに経営判断が異なる
- 将来予測が各社で異なる
- 期待するシナジー効果が違う
- 会計数値以外の定性的な要素も加味される
- 買い手間の競争(争奪戦)により価格が高騰する
たとえば、同じ企業を見ていても、ある買い手A社は「保有サービスとの連携に強いシナジーがある」として9倍まで出せると判断する一方で、買い手B社は「競合だが直接的な利益貢献は少ない」として5倍までと判断することがあります。
さらに、売り手にとって有利な「争奪戦」になると、EV/EBITDA倍率は一気に跳ね上がります。M&Aは基本的に「一点モノ」の取引ですので、希少性の高い案件では入札が過熱し、最終的に想定以上の高倍率で落札されることもあります。
また、企業の成長性や業界の将来性など、定量的に評価しにくい要素も倍率に影響を与えます。以下のような定性的要素も、買い手の評価に大きく作用します。
- ブランドや評判
- 業歴や取引先の安定性
- 従業員の質や文化との相性
- 地域独占的なポジション
たとえば、同じような業績でも、業界の老舗で地域で高い認知を得ている企業であれば、買い手が「プレミアム」をつけて高めの倍率を適用することがあります。
一方で、業績が良くても訴訟リスクや従業員の離職率が高い場合は、買い手が慎重になり、EV/EBITDA倍率を低めに設定することもあります。
さらに、EV/EBITDA倍率は「買収後の再投資がどれくらい必要か」によっても調整されます。たとえば、古い設備を更新する必要がある企業は、買収後に追加コストが発生するため、その分だけ倍率を低めに抑える傾向があります。
このように、EV/EBITDA倍率のばらつきは、単に「企業の良し悪し」だけで決まるのではなく、買い手の戦略・主観・タイミング・シナジー・競争状況といった多くの要素が絡んだ総合判断によって形成されます。
実務の現場では、想定EBITDAを算出し、そこに自社が許容できる倍率を掛けて「最大いくらまでなら出せるか」をあらかじめ定めておき、入札や交渉に臨むケースが一般的です。そして交渉過程で、上限の倍率を変更するケースも少なくありません。
結果として、「EV/EBITDA倍率=2~10倍」とされる相場の幅広さは、むしろ実務上の自然な現象といえます。「なぜこんなに幅があるのか?」と疑問に感じる方も多いですが、逆に言えば、一定のルールがあるM&Aの中でも、最も「裁量」と「判断」が問われるのがこの倍率設定なのです。
3.EV/EBITDA法の計算式と11ステップの値決め手順
3.1 ステップでわかる実務フロー
EV/EBITDA法を用いたM&Aにおける値決めは、単なる掛け算ではありません。企業の実態を正しく捉え、買収価格を合理的に設定するには、いくつかの具体的なステップを踏んでいく必要があります。以下は、実務で一般的に採用される11の手順です。
- EV/EBITDA倍率の設定
- 借入金残高(有利子負債)の確認
- 非事業資産のリストアップ
- 非事業資産の時価評価
- 損益計算書の修正(実態P/Lの作成)
- シナジー効果を加味した想定P/Lの作成
- 想定EBITDAの算出
- EBITDAに倍率をかけて事業価値(EV)の算出
- 追加投資額の控除
- 株式価値(エクイティ・バリュー)の算出
- 経営判断による最終価格の決定
このようなプロセスを通じて、企業の「株式の値段」を導き出していきます。重要なのは、単に倍率を掛けるだけでなく、EBITDAの算出根拠を明確にし、買収後に必要なコストを考慮しながら総合的な判断を行う点です。
以下は、上記ステップを視覚的にまとめた簡易フロー図です。
- Step1〜4:財務情報の整理と評価
- Step5〜7:事業収益力の把握と調整
- Step8〜11:買収価格の算定と戦略的判断
このような流れを通じて、買い手は「どこまで価格を出せるか」を理論と実態の両面から検証していきます。
3.2 計算例と注意ポイント
EV/EBITDA法の理解を深めるには、実際の計算例を通して手順を確認することが効果的です。以下に、ある中小企業を対象にした仮想的なM&Aケースを紹介します。
項目 | 数値 | 備考 |
---|---|---|
想定EBITDA | 4,000万円 | シナジー反映後の数値 |
EV/EBITDA倍率 | 6倍 | 社内上限として設定 |
有利子負債残高 | 1億円 | 借入金、社債等 |
非事業資産(時価) | 2,000万円 | 保険、上場株等 |
必要な追加投資額 | 1,000万円 | 老朽設備の更新など |
この場合の計算式は以下のようになります。
- 事業価値(EV)= 4,000万円 × 6倍 = 2億4,000万円
- EVから追加投資を差引:2億4,000万円 − 1,000万円 = 2億3,000万円
- 株式価値(エクイティ・バリュー)= 2億3,000万円 − 1億円(負債)+ 2,000万円(非事業資産)= 1億5,000万円
したがって、買い手企業はこの案件に対して「1億5,000万円までであれば投資しても良い」と判断できます。
ただし、この計算で注意すべき点がいくつかあります。
- 想定EBITDAの信頼性:営業利益や減価償却の精度が低いと、倍率が掛け算されることで大きな誤差が生じます。
- シナジーの見積もり:期待値だけで楽観的に上乗せすると、実現しなかったときの失敗リスクが高まります。
- 追加投資の過小評価:事業継続に必要な初期コストを過小に見積もると、想定外の費用発生で収益性が崩れます。
さらに、EBITDAが少しずれるだけで、株式価値に大きな影響が出ることにも留意が必要です。たとえば、上記の例でEBITDAが500万円低かった場合、6倍で3,000万円も企業価値が下がり、最終的な株式価値も1億2,000万円になります。
こうしたミスを防ぐためには、以下の工夫が効果的です。
- 3期分のP/Lを比較してトレンドを確認する
- 修正項目(役員報酬や一時的費用)を個別に精査する
- 買収後の運営方針(体制変更・コスト削減)をシミュレーションする
EV/EBITDA法の活用は、単なる「掛け算の技術」ではなく、買収対象企業の実態を丁寧に読み解きながら、将来の価値を慎重に見極めるための「判断のフレームワーク」です。とくに中小企業M&Aでは、財務数値だけでは捉えきれない要素も多いため、表面上の倍率だけにとらわれないことが大切です。
4.EV/EBITDA法を使う際のよくある誤解と注意点
4.1 「倍率=回収年数」ではない理由
EV/EBITDA法を使う際によくある誤解の一つが、「EV/EBITDA倍率=投資回収年数」だと考えてしまうことです。たとえば、「6倍なら6年で回収できる」というような認識を持たれがちですが、これは正確ではありません。実際には、EV/EBITDA倍率は投資回収期間の目安ではなく、企業価値を示すための掛け算係数であり、キャッシュフローの実態や税引後利益などを無視しているため、実際の回収年数とは大きな乖離が生じることがあります。
この誤解が生まれる背景には、EBITDAが「キャッシュフローの代理」と見なされがちな点があります。確かにEBITDAは営業利益に減価償却費を加えたもので、設備投資などの非現金支出を除外した利益指標ですが、以下の要素が加わることで、実際のキャッシュフローとは異なる点に注意が必要です。
- 法人税や消費税などの実際の支払額
- 設備投資や修繕費などのキャッシュアウト
- 運転資金の増減(在庫増や売掛金の変動など)
つまり、EBITDAが4,000万円でEV/EBITDA倍率が5倍なら、企業価値(EV)は2億円になりますが、この会社が年間で税引後に実際いくらのキャッシュを創出できるかは別問題です。仮に実際の年間フリーキャッシュフローが2,500万円しかなければ、投資回収には8年かかる計算となり、倍率5倍とは一致しません。
実務では、以下のような補足計算をすることで、投資回収年数との整合を検証するケースがよくあります。
項目 | 数値 | 備考 |
---|---|---|
想定EBITDA | 4,000万円 | 修正後 |
法人税(仮に30%) | ▲1,200万円 | 税引後EBITDA=2,800万円 |
追加設備投資等 | ▲300万円 | 維持更新費用 |
実質キャッシュフロー | 2,500万円 | 年間投資回収額 |
買収価格(EV) | 2億円 | 5倍倍率による |
実質回収年数 | 8年 | 2億円 ÷ 2,500万円 |
このように、EV/EBITDA倍率を使うときは、必ず「キャッシュフローとして実際に残る額」を別途確認する必要があります。倍率だけで投資判断をするのは非常にリスクが高く、慎重な検討が欠かせません。
4.2 EBITDAに表れないリスクとは
EV/EBITDA法のもう一つの落とし穴は、EBITDAの計算には表れない「隠れたリスク」がある点です。表面上は高いEBITDAを示していても、実際には以下のようなリスク要因が内在しており、買収後の経営に悪影響を及ぼすことがあります。
- 売掛金の長期滞留(キャッシュが入ってこない)
- 棚卸資産の過剰在庫・不良在庫
- 従業員のモチベーション低下・離職リスク
- 訴訟・行政処分などの潜在リスク
- 固定資産の老朽化や修繕遅延
これらのリスクは、P/L(損益計算書)上は反映されておらず、EBITDAにも織り込まれていないことが多いため、表面的な指標では見落とされがちです。特に売掛金や棚卸資産については、B/S(貸借対照表)を精査しなければ、実態をつかむことは困難です。
たとえば、ある企業のEBITDAが年間5,000万円あるとします。しかし、毎年1,000万円近い売掛金が回収できていないとすれば、実質的なキャッシュフローは4,000万円程度です。これに気づかずに倍率をかけてしまうと、企業価値を過大評価してしまうことになります。
また、以下のようなケースでもEBITDAは誤解を招きやすい指標になります。
項目 | リスク内容 | EBITDAへの反映 |
---|---|---|
架空取引 | 実態のない売上で利益を水増し | 反映されてしまう |
急激な値下げ | 粗利が維持されているが持続不能 | 短期的には高いEBITDAに |
期末の在庫評価操作 | 原価率を下げて利益を調整 | 実質は低利益でも高EBITDA |
こうしたリスクに対応するためには、以下のような対応が推奨されます。
- EBITDAの算出根拠を必ず「実態P/Lベース」で確認する
- 3〜5年分の推移を比較し、単年の異常値を排除する
- B/Sやキャッシュフロー計算書との整合性を検証する
- 外部専門家によるデューデリジェンスを行う
つまり、EV/EBITDA法を使う際は、「EBITDAの数字は表面値であり、本質的な経済価値を示しているわけではない」という前提を持ち続けることが重要です。単なる数字の掛け算で企業価値を決めてしまうと、買収後に「こんなはずじゃなかった」という結果を招きかねません。
このようなリスク回避の姿勢は、M&Aの成功率を大きく左右する要素となります。EV/EBITDA法は非常に有用なツールですが、使い方を誤ると逆効果になる可能性があるため、必ず裏付けと実態確認をセットで行うことが求められます。
5.他の手法との違い:年買法やDCF法との比較
5.1 EV/EBITDA法と年買法の使い分け
EV/EBITDA法と年買法は、どちらも中小企業M&Aにおいてよく使われる値決め手法ですが、その性質と使いどころは大きく異なります。結論から言えば、EV/EBITDA法は「事業全体の収益性とキャッシュフロー」を重視する場合に適しており、年買法は「利益に対して妥当な対価を支払いたい」という感覚的な判断に基づく場面で用いられる傾向があります。
まず、両者の違いを明確に理解するために、以下の比較表をご覧ください。
項目 | EV/EBITDA法 | 年買法 |
---|---|---|
基準となる利益 | EBITDA(非現金費用含まず) | 営業利益(または税引後利益) |
事業資産の評価 | EVとして包括的に評価 | 時価純資産+のれんとして算出 |
のれん代の扱い | EBITDA倍率に含まれる | 明示的に「利益の◯年分」で評価 |
算定の論理性 | 財務理論に基づく | 実務感覚・慣習に基づく |
主な利用シーン | 買い手企業が価格上限を設定する時 | 譲渡希望価格の目安設定など |
EV/EBITDA法は、特に買い手サイドが「この案件にいくらまで出してよいか」を判断する際に活用されます。キャッシュフローの創出力を重視し、シナジー効果や追加投資なども考慮しながら慎重に値決めできるのが特徴です。一方で、年買法は過去の営業利益や税引後利益の水準を基準にして、3年〜5年分を加算するなどして譲渡価格を感覚的に決める実務的な手法です。
たとえば、以下のようなケースで使い分けることができます。
- 成長中の事業で将来のEBITDAが高まる見込み → EV/EBITDA法
- 長年安定した利益を出しており、実態純資産も厚い → 年買法
- 事業資産の時価が大きく、営業利益が少ない(不動産業など) → 年買法
つまり、年買法は「のれんを何年で回収するか」という考え方をベースに、感覚的にも納得しやすい一方で、財務理論的な正確性には欠ける点があります。したがって、買い手が論理的に価格を決めたい場合や、シナジーの反映が重要な場合には、EV/EBITDA法がより適しているといえるでしょう。
5.2 DCF法との適用シーンの違い
DCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)は、企業価値評価の王道とも言える手法ですが、実務において中小企業のM&Aで頻繁に使われることはあまりありません。その理由は、DCF法が要求する前提条件とデータ精度の高さが実務的に難しいからです。
DCF法とEV/EBITDA法の主な違いは以下のとおりです。
項目 | DCF法 | EV/EBITDA法 |
---|---|---|
必要な前提データ | 将来5〜10年のキャッシュフロー予測、割引率 | EBITDA、倍率、負債・非事業資産情報 |
計算の難易度 | 非常に高い | 比較的シンプル |
客観性・理論性 | 非常に高い | 中程度(実務に即した簡便性) |
中小企業への適用 | 現実的には難しい | 実務でよく使われる |
DCF法は、未来のフリーキャッシュフローを1年単位で予測し、それを割引率(WACC)で現在価値に換算して合算する方法です。精緻な計算が可能であり、上場企業や一定以上の管理体制を持つ大企業の価値評価には非常に有効です。
しかし、中小企業の場合は以下のような事情から、実務で使いづらい傾向にあります。
- 将来予測を正確に立てるだけの体制が整っていない
- 中長期のキャッシュフロー計画が存在しない
- 割引率(WACC)を導き出す前提となるデータが不足
- 経営者の属人的な判断に大きく依存する企業が多い
一方、EV/EBITDA法は必要な情報が少なく、手順も明確でシンプルです。損益計算書と貸借対照表が数期分あれば実施可能で、買収候補の比較検討にも使いやすいため、特にスモールM&Aでは主流となっています。
たとえば、成長中のIT企業を評価する際、DCF法で10年間のフリーキャッシュフローを正確に予測するのは困難です。こうしたケースでは、EV/EBITDA法で業界倍率などをもとに大まかな評価を行い、買収上限価格を決めるほうが現実的です。
このように、DCF法は理論的には非常に強力な手法ですが、現場ではEV/EBITDA法のほうが使いやすく、現実的な判断に役立つことが多いのです。
6.EV/EBITDA法のメリットとデメリット
6.1 メリット:簡易性・直感性・理論整合性
EV/EBITDA法は、M&Aの実務現場で広く使われている値決め手法の一つです。その主なメリットは、以下の3点に集約されます。
- 計算がシンプルで実務で使いやすい(簡易性)
- 買収価格に対する納得感が得やすい(直感性)
- 企業財務の理論とも整合している(理論整合性)
まず簡易性についてですが、EV/EBITDA法では「想定EBITDA × 倍率」というシンプルな式で企業価値(EV)を求めることができます。これに借入金や非事業資産を加減するだけで株式価値が算出できるため、難解なモデルや専門ソフトが不要です。
次に直感性の高さも大きな特徴です。買い手経営陣が「この企業は年間1億円のキャッシュフローを生むから、6倍の6億円なら妥当」と判断しやすく、内部会議でも説明しやすいという利点があります。感覚的に理解しやすいため、交渉の土台としても活用しやすいのです。
また、EV/EBITDA法は企業価値評価理論の一種である「マルチプル法」の考え方と一致しており、合理的な根拠に基づいた価格算定が可能です。DCF法ほど複雑ではないものの、事業の将来性や収益性を織り込む点で、表面的な利益額だけを見るよりも優れた評価アプローチとされています。
実際、上場企業でも以下のようにEV/EBITDA法は頻繁に活用されています。
- 日本電産:原則「EV/EBITDA倍率は7倍以内」
- 日立製作所:EV/EBITDA法によるバリュエーションで子会社の再編戦略を実施
- グローバルPEファンド:対象会社の買収上限価格の設定にEV/EBITDA法を導入
このように、シンプルながら理論的な裏付けがあり、納得感が高いという3拍子揃った手法がEV/EBITDA法なのです。
6.2 デメリット:想定P/Lの影響大、土地評価の限界など
一方で、EV/EBITDA法にも注意すべきデメリットが存在します。特に次の2点は見落とされがちですが、実務において大きな影響を及ぼします。
- 想定P/Lの数値次第で評価が大きくブレる
- 固定資産(特に土地)を正当に評価できない
まず1点目ですが、EV/EBITDA法では「EBITDA」が計算の起点となります。このEBITDAは、通常は「想定P/L(損益計画)」から導き出されるため、少しの前提の違いや修正の有無によって、大きく変動します。
たとえば、以下のような要素がEBITDAに大きく影響を与える要因になります。
- 過大または過小な役員報酬の修正
- 非経常的な補助金・助成金の有無
- 売上・経費予測のバイアス(楽観・悲観)
- シナジー効果をどこまで織り込むか
仮に、EBITDAが年間5,000万円だと想定して6倍で評価すれば3億円になりますが、想定が4,000万円に変われば2.4億円に下がります。つまり、「わずか1,000万円の修正で評価が6,000万円も変わる」という非常に繊細な世界なのです。
さらに2点目の「土地評価の限界」についても重要です。EV/EBITDA法はキャッシュフロー重視の手法であるため、保有する土地が生み出すEBITDAへの影響が小さい場合、その土地の価値が正当に評価されない可能性があります。
たとえば、以下のようなケースを考えてみましょう。
項目 | 評価結果(EV/EBITDA法) | 市場時価 |
---|---|---|
事業EBITDAへの影響 | +500万円/年 | — |
EV/EBITDA倍率 | 6倍 | — |
算出される土地価値 | 3,000万円 | 8,000万円 |
このように、事業利益に貢献していない土地や建物を保有している場合、EV/EBITDA法では評価が著しく低くなってしまうのです。土地などの資産価値を重視するなら、時価評価を取り入れる年買法や純資産法の併用が推奨されます。
また、EV/EBITDA法は以下のようなリスクにも弱いため、注意が必要です。
- 事業に含まれない資産・負債の扱い(ゴルフ会員権、保険、余剰現金など)
- 架空売上・未回収債権など粉飾の温床
- 設備の老朽化や更新費用が反映されない
このようなデメリットを理解した上で、EV/EBITDA法を盲目的に使うのではなく、他の手法と組み合わせたり、前提の検証をしっかり行うことが重要です。
7.値決めの実務にどう活かす?戦略的な倍率設定の考え方
7.1 倍率はトップ判断で決めるべし
EV/EBITDA法による値決めの実務では、「倍率設定」が非常に重要な要素となります。そしてこの倍率は、現場の担当者ではなく、経営トップの意思で最終決定されるべき性質のものです。なぜなら、買収は企業全体の戦略と直結し、単なる財務指標では測りきれない要素が多数絡むためです。
たとえば、同じEBITDA1億円の企業を買うとしても、「5倍までしか出さない」とするか、「8倍まで許容する」とするかで、買収の成否が分かれます。そしてその意思決定は、将来のグループ全体のシナジー見込みや経営者の投資スタンス、成長戦略に強く左右されます。
トップの判断で倍率を設定するうえで、以下の観点が参考になります。
- 過去のM&A実績(成功・失敗)の教訓
- グループの財務体力(キャッシュ残高、借入余力)
- 資金回収の見込み年数(ただし倍率=年数ではない)
- のれん償却の会計方針との整合性
- 競合の入札動向(高倍率での買収事例があるか)
たとえば、「過去にEV/EBITDA6倍で買収した案件が回収困難だった」という経験があれば、以後は5倍までと社内でルール化することもあります。逆に「シナジーが確実で、再現性の高い事業モデル」であれば、思い切って8倍や10倍まで出すケースもあります。
上場企業の例では、日本電産が「EV/EBITDA7倍以内」という原則を持っていることで有名です。このように、あらかじめ社内基準を設けておくことで、買収判断がぶれず、スピーディに意思決定できる利点もあります。
つまり、倍率の設定は単なる「数字」ではなく、「経営哲学の表れ」であり、「意思決定の覚悟」が問われる領域なのです。
7.2 案件ごとに倍率を変える戦略とは
とはいえ、すべてのM&A案件に対して一律の倍率を適用するのは現実的ではありません。案件ごとの戦略的価値やリスク水準、シナジーの強さが異なるため、実務では「複数の倍率パターン」を使い分ける戦略が有効です。
たとえば以下のように、戦略性や案件タイプに応じた倍率幅を設定するのが一般的です。
案件タイプ | 想定倍率(EV/EBITDA) | 想定される理由 |
---|---|---|
シナジー強・独占的ポジション | 7~10倍 | 競合がいない、他で代替不可能 |
安定成長型・ブランド強みあり | 5~7倍 | 収益性・継続性が高い |
再生型・赤字案件 | 2~4倍 | リスクが高いため保守的評価 |
さらに、同一案件であっても「最大倍率」と「基本倍率」の2種類を持ち、交渉状況やデューデリの結果によって柔軟に調整する企業も増えています。
- 基本倍率:想定EBITDA × 5倍(通常想定)
- 最大倍率:想定EBITDA × 7倍(争奪戦時)
たとえば、ある買い手企業が「この事業は中長期的に自社の主力になりうる」と考えている場合、通常であれば6倍程度で見積もるところを、競合との入札状況を見て8倍まで出すという柔軟な対応が可能になります。
また、以下のような買収戦略を取っている企業も多く見受けられます。
- 「インフラ領域は多少高くても取る」
- 「スタートアップ系は上限倍率を柔軟に」
- 「再生型はのれんゼロ前提で交渉する」
このように、EV/EBITDA法を有効に使うには、戦略性に基づく倍率設定と、それを動的に調整できる判断力が重要になります。
つまり、「倍率の固定」ではなく、「倍率の戦略的運用」が成功するM&Aのカギなのです。
8.売り手としてEV/EBITDA法をどう捉えるべきか
8.1 相手がこの手法を使ってくる理由
買い手企業がEV/EBITDA法を使ってくる理由は、「理論的かつ簡便に値決めができる」からです。EV/EBITDA法では、対象企業のEBITDA(利払い前・税引前・償却前利益)に倍率(マルチプル)を掛けるだけで、企業全体の価値(EV=Enterprise Value)を算出できます。計算が比較的単純で、かつ投資回収のイメージが持ちやすいため、M&Aに不慣れな中堅企業でも活用しやすいのです。
加えて、EV/EBITDA法は企業価値評価(バリュエーション)において最も一般的な手法の一つであり、投資銀行、ファンド、コンサルティング会社などでも広く用いられています。そのため、買い手にとっては「業界の常識」として使いやすいツールであり、買収案件ごとに値決めの整合性を持たせるうえでも都合が良いのです。
実際に多くの買い手が、社内ガイドラインや投資委員会資料に「EV/EBITDA倍率〇倍以内」といったルールを設けており、それに沿って意思決定を進めています。
売り手としてこの手法を理解しておくことで、買い手の視点・思考回路を読み解くことができ、自社の財務情報がどのように解釈されるのか、より戦略的に交渉に臨むことが可能となります。
8.2 争奪戦を仕掛けて価格を引き上げる方法
EV/EBITDA法による価格は、あくまで買い手企業が設定する「上限価格」に過ぎません。実際の交渉では、売り手側の工夫や戦略によって、この上限に限りなく近づけたり、場合によっては超える価格を引き出すことも可能です。
そのための有効な戦略の一つが「争奪戦(オークション)」です。複数の買い手候補を同時に並行交渉に巻き込むことで、各社の提示額が自然と引き上がり、最終的な成約価格も高騰する傾向があります。
たとえば以下のような状況が作れれば、価格交渉において圧倒的に有利に立つことができます。
- 買い手候補が3社以上いて、かつ関心度が高い
- 同業他社や地域で競合関係にある買い手が含まれている
- 入札方式での交渉を提示し、締切や条件を事前に提示する
このように競争環境があると、買い手側は「他社に取られるくらいなら、多少高くても買いたい」という心理になります。これにより、EV/EBITDA法で本来想定していた倍率よりも高い水準での入札が起きる可能性があるのです。
実際、以下のようなケースも報告されています。
案件タイプ | 通常倍率 | 争奪戦による最終倍率 |
---|---|---|
ITサービス企業 | 6倍 | 10倍 |
物流業(地域独占) | 5倍 | 8倍 |
高収益飲食チェーン | 4倍 | 7倍 |
争奪戦を成功させるには、以下の準備が重要です。
- ノンネーム段階で十分な買い手候補リストを作成しておく
- IM(インフォメーションメモランダム)やP/Lを整備し、買い手が比較検討しやすい資料を準備する
- 各買い手に誠実な対応をしながらも、公平性をもって並行交渉を進める
また、交渉時に「他社も検討している」「すでに複数の打診を受けている」と伝えることも、価格引き上げに効果的です。ただし、過度な駆け引きや虚偽の情報は信用を損なうため注意が必要です。
売り手としては、EV/EBITDA法で買い手が提示してきた価格が「絶対基準」ではなく、「交渉可能なスタートライン」だという認識を持つことが大切です。
うまく争奪戦の土俵を整え、買い手の“EV/EBITDAの上限”すら超える強気の条件を引き出していきましょう。
まとめ
EV/EBITDA法は、M&Aの現場で広く使われている企業価値の算定手法です。本記事ではその基本的な考え方から、倍率の相場、計算方法、他手法との違いや実務への活かし方までを体系的に解説しました。適切な倍率設定は、買い手・売り手の交渉力を大きく左右するため、感覚ではなく理論と戦略に基づいて判断することが重要です。
- EV/EBITDAは実務的な指標
- 倍率には業種ごとの幅がある
- 他手法と組み合わせが有効
- 戦略的な倍率設定が鍵
- 誤解を避ける丁寧な理解が重要
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