訪問介護・デイサービスのM&A動向|相場と成功の勘所10選
「訪問介護・デイサービスのM&Aを検討しているが、相場感や成功の勘所がわからない」「買い手の狙い・地域特性まで踏まえた判断材料が不足している」――そんな悩みを最短距離で解消したい方へ。
本記事『訪問介護・デイサービスのM&A動向|相場と成功の勘所10選』では、現場KPIと制度の要点を押さえつつ、直近の動向から実務の手続きまでを一気通貫で解説します。
■本記事を読むと得られること
- 直近動向の要点と買い手の狙い・地域特性が整理できる
- 相場の考え方(評価軸/在籍スタッフ/加算状況)の勘所がわかる
- 成功の勘所10選と手続き・スケジュール(DD/PMI含む)が掴める
■本記事の信頼性
筆者はM&Aアドバイザー歴10年以上、関与実績200件超。中小企業庁登録M&A支援機関として、信頼性・誠実性・専門性・スピードを重視し、介護領域の実務支援も多数手掛けています。
読み終える頃には、相場に振り回されずに自社(または取得対象)の価値を適切に見極め、加算・人員体制・指定更新を織り込んだ“勝てるM&A計画”を描けるはずです。意思決定の精度とスピードを同時に高めていきましょう。

1. はじめに:なぜ今、訪問介護・デイサービスでM&Aが進むのか
需要増・人材難・報酬改定の三重苦と機会
訪問介護・デイサービスのM&Aが増えている背景には、大きく分けて「需要の増加」「人材不足」「介護報酬改定」の3つの要因があります。これらは一見すると事業者にとって厳しい状況に見えますが、実はM&Aによって解決や成長のチャンスに変えることが可能です。
まず、需要の増加についてです。厚生労働省「令和4年度 介護保険事業状況報告」によると、要介護・要支援認定者数は694万人を超えており、今後さらに増加が見込まれています。高齢化の進展に伴い、訪問介護やデイサービスの利用ニーズは右肩上がりに伸びています。
次に、人材不足の問題です。介護職員の有効求人倍率は全国平均で3倍を超えており(厚労省「介護労働実態調査」より)、他業種と比べても深刻な人手不足です。特に訪問介護では、介護福祉士など有資格者が必要なため、新規人材の確保が難しいという課題を抱えています。
さらに、介護報酬改定も事業者に大きな影響を与えています。3年ごとに行われる改定では、訪問介護の移動時間が報酬に算入されないことなど、経営にとって厳しい条件が課されるケースも少なくありません。こうした制度変更は小規模事業者にとって大きな負担となります。
例えば、ある地方の小規模訪問介護事業所は、利用者数が増加していたにもかかわらず、人材不足と報酬の厳しさから赤字に転落しました。しかし、大手介護グループにM&Aで参画したことで、人材採用の仕組みやICTシステムを導入でき、黒字転換に成功しました。このように、厳しい三重苦の状況がM&Aを通じてチャンスに変わる事例は増えています。
つまり、需要は増加している一方で経営環境は厳しく、事業者単独での対応には限界があります。だからこそ、M&Aを通じて資本力や運営ノウハウを持つ企業と組むことが、訪問介護・デイサービスにおける持続的成長の現実的な選択肢となっているのです。
本記事の読み方(売り手/買い手/実務者向け)
この記事は、訪問介護・デイサービス業界に関わる立場ごとに役立つように構成されています。売り手、買い手、そして実務を担う担当者それぞれが知っておくべきポイントを整理しているので、自分の立場に合わせて読み進めてください。
- 売り手(事業を譲渡したい経営者)
後継者不足や経営環境の悪化に悩んでいる場合、M&Aを活用することで事業を継続させつつ従業員や利用者を守る方法が見えてきます。記事では売却メリットや成功のポイントを具体的に紹介します。 - 買い手(介護事業に参入・拡大を考える企業)
新規参入ではゼロから立ち上げるよりも、M&Aでノウハウや人材を獲得する方が効率的です。記事では買収のメリットや相場感、取引の増加要因を解説し、失敗を避けるための視点を提示します。 - 実務者(管理職・士業・M&A担当者)
M&Aの現場では、介護特有の法規制や行政手続き、デューデリジェンスの確認項目など、専門知識が必要になります。記事では、実務者がチェックすべきポイントをリスト化し、現場で活用できる知識を提供します。
例えば、買い手側の企業が訪問介護事業を取得する際には、「指定更新のタイミング」「加算体制」「従業員の資格保持状況」などを丁寧に確認しなければなりません。こうした視点を持たないと、取得後に想定外のコストが発生したり、利用者離れにつながるリスクがあります。
一方で売り手側は、自社の強みや地域密着性を正しく伝えることで、相場よりも高い評価を得られる可能性があります。たとえば、居宅介護支援事業所や地域包括支援センターとの関係性は、買い手にとって極めて重要な評価ポイントです。
この記事を読み進めることで、売り手は「安心して事業を託す方法」、買い手は「成長戦略に合う取得の進め方」、実務者は「失敗を避けるためのチェックリスト」を手に入れることができます。そして最終的には、訪問介護・デイサービス業界におけるM&Aの全体像をつかみ、確かな意思決定につなげることができるでしょう。
2. 基礎理解:事業特性とM&Aで見るべき“現場のKPI”
訪問介護とデイサービスの収益構造(稼働率・加算・人員配置)
訪問介護とデイサービスの事業は、いずれも介護保険制度のもとで収益を上げています。しかし、その収益構造には大きな特徴があり、M&Aの場面では「稼働率」「加算の取得状況」「人員配置」の3つが特に重要な指標となります。
まず稼働率についてです。訪問介護の場合、サービス提供時間に応じて報酬が算定されます。例えば30分未満の身体介護は約2,500円前後、60分を超えると5,000円以上になることもあります。一方で移動時間は報酬に含まれないため、実際にどれだけ効率よく訪問を組めるかが経営の鍵となります。デイサービスでは定員数に対して何人が利用しているか、すなわち「定員稼働率」が重要です。定員40名の施設で平均利用者が30名であれば稼働率は75%となり、この数値が収益の安定性を測るポイントになります。
次に加算の取得状況です。介護報酬には、基本報酬のほかに「特定事業所加算」「処遇改善加算」「個別機能訓練加算」などがあります。厚生労働省「介護給付費等実態統計(令和5年度)」によると、加算を取得している事業所はそうでない事業所に比べて年間収益が平均で数百万円単位高い傾向にあります。そのため、加算を継続的に取得できる体制があるかどうかは、M&Aの評価を大きく左右します。
最後に人員配置です。訪問介護では「サービス提供責任者」を中心に有資格者の確保が必須であり、デイサービスでは看護師や生活相談員の配置基準が法律で定められています。厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査(令和3年)」によれば、全国の訪問介護員は約51万人ですが、離職率が高いため安定的な人材確保が難しい現状です。M&Aの場面では「資格を持った職員がどれだけ定着しているか」が、売却価値や買収判断に直結します。
例えば、ある地方のデイサービスでは定員30名に対して平均利用者は20名程度でしたが、機能訓練指導員を配置して「個別機能訓練加算」を取得することで利用者が増加。稼働率が90%近くまで改善し、収益力が向上した結果、M&A時の評価額も相場より高くなりました。
つまり、訪問介護とデイサービスの収益構造を見る際には、単なる売上高だけでなく「稼働率」「加算の有無」「人員配置の安定性」という3つのKPIを総合的に判断することが大切です。これらを把握することで、事業の将来性や買収後のシナジー効果を正しく見極められるのです。
地域ドミナントの考え方(送迎導線・居宅支援との関係)
介護事業においては、地域密着型で効率的にサービスを提供できるかどうかが非常に重要です。そのためM&Aを検討する際には「地域ドミナント戦略」が注目されます。ドミナントとは「特定の地域に集中して出店・展開する」考え方で、介護業界では送迎導線や居宅介護支援事業所との関係がその成否を分けます。
送迎導線について考えてみましょう。デイサービスでは利用者を自宅まで送迎することが基本です。このとき、送迎ルートが効率的であるかどうかが人件費や燃料費に直結します。複数の施設を同一エリア内に展開することで、送迎ルートの重複を減らし、効率的な運営が可能になります。例えば、A市に2カ所のデイサービスを展開している事業者は、送迎車両を共有し効率化を実現。その結果、1施設あたりの運営コストが約10%削減されたという事例もあります。
また、居宅介護支援事業所(ケアマネジャーが所属する事業所)との関係も極めて重要です。ケアマネジャーは利用者に対してサービス計画を立て、どの事業所を利用するかを紹介する役割を持っています。そのため、居宅介護支援事業所と良好な関係を築いている介護事業所は、安定的に利用者を紹介してもらえる傾向にあります。東京商工リサーチの調査によると、倒産した介護事業者の多くは「利用者紹介の流入不足」が要因の一つとなっており、地域でのネットワークの強さが事業継続に大きな影響を与えていることがわかります。
実際に、ある中堅介護グループはM&Aで近隣エリアの訪問介護事業所を取得し、既存のデイサービスと組み合わせることで、利用者紹介のルートを強化しました。これにより、ケアマネジャーからの紹介数が約1.5倍に増加し、既存施設の稼働率向上にもつながったと報告されています。
さらに、地域ドミナント戦略は利用者やその家族にとっても安心感を生みます。自宅の近くに複数の関連施設があることで、「通所」「訪問」「福祉用具レンタル」などを一体的に利用できるからです。結果的にLTV(利用者の生涯価値)が向上し、事業全体の安定性が増します。
結論として、M&Aにおける地域ドミナントの考え方は、単なる施設の数を増やすことではなく「送迎効率」と「地域ネットワークの強さ」を軸に評価すべきです。この2つが確立されている事業は、買い手にとって魅力的であり、売却時の評価額も高くなる傾向にあります。訪問介護・デイサービスのM&Aを成功させるためには、地域内での存在感と連携力をいかに構築できているかがカギとなるのです。
3. 最新動向:買い手の参入意図と取引の増加ポイント
参入タイプ別(同業・周辺業・異業)の狙い
訪問介護・デイサービス業界におけるM&Aの増加は、買い手企業の参入意図に大きく関係しています。買い手の属性は大きく「同業」「周辺業」「異業」の3タイプに分けられ、それぞれ狙いが異なります。
- 同業による参入
既に介護事業を展開している企業が、エリア拡大や利用者基盤の強化を目的に買収を行います。特に「送迎ルートの効率化」「加算体制の拡充」「人材シェア」が狙いです。厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査(令和3年)」では、訪問介護事業所数が35,612カ所に達しており、競争の激化が続いています。そのため同業M&Aは、地域内シェアを高めて競争優位を築く手段となっています。 - 周辺業による参入
医療機関や薬局、福祉用具レンタル会社など、介護と近接した領域の企業が参入するケースです。目的は「サービスの垂直統合」によるLTV(ライフタイムバリュー)の最大化です。たとえば調剤薬局グループがデイサービスを取得することで、医療・介護を一体的に提供でき、利用者にとって利便性が高まります。 - 異業種による参入
不動産、保険、人材派遣など介護とは直接関係のない業種が新規参入するケースも増えています。背景には「安定した介護需要」と「社会的意義」があります。東京商工リサーチのデータによれば、2024年1月〜5月の介護事業者倒産件数は72件と過去最高を更新しましたが、それでも介護市場全体の成長見込みは揺るぎません。異業種にとっては「長期的な収益安定」と「SDGs対応」の両面で魅力があるのです。
実際の事例を挙げると、ケア21は複数の訪問介護・デイサービス事業をM&Aで取得し、既存拠点との連携を強化することで地域密着度を高めています。また、薬局チェーンのたんぽぽ薬局はデイサービス事業を取り込み、調剤と介護を組み合わせた包括的ケアを実現しました。異業種では、市進ホールディングス(学習塾運営)が介護事業者を子会社化し、教育と福祉のシナジーを狙ったケースがあります。
まとめると、同業はシェア拡大、周辺業はシナジー強化、異業は市場参入と社会的価値創出を目的としています。こうした多様な参入意図が、介護業界のM&A件数増加を後押ししているのです。
スケール化・ICT化・人材確保を目的とした取得
M&Aの動向をさらに深掘りすると、「スケール化」「ICT化」「人材確保」という3つの目的が特に注目されます。これらは単なる事業拡大ではなく、介護業界が直面する課題を解決するための実践的な戦略です。
スケール化
スケール化とは、事業規模を大きくしてコスト効率や交渉力を高めることです。介護事業では、単一施設の収益力は限られるため、多拠点展開による「規模の経済」が重要です。たとえば複数施設で共通の人材教育プログラムを導入したり、食材や備品の一括仕入れを行うことでコスト削減が可能になります。大手企業による広域展開は、こうしたスケールメリットを享受するために進められています。
ICT化
介護業界は長らく「紙と電話中心」の業務が多かった分野ですが、近年はICT化の流れが加速しています。厚生労働省も「介護サービスの生産性向上ガイドライン」を提示し、記録ソフトや見守りセンサーの導入を推進しています。ICT化に強い企業が介護事業を取得することで、勤怠管理・記録・請求業務を効率化し、1人当たりの生産性を大幅に改善することができます。これにより人手不足の緩和にもつながります。
人材確保
介護人材の不足は業界最大の課題です。厚生労働省「介護人材確保対策」によれば、2040年には約69万人の介護人材が不足すると予測されています。この課題に対して、M&Aで既に人材を抱える事業所を取得する動きが強まっています。既存のヘルパーや生活相談員を引き継げることで、即戦力を確保できる点は買い手にとって大きな魅力です。
実例として、フレアスは訪問介護・在宅マッサージを展開するスカイハートを買収し、人材とノウハウを取り込みました。これにより、従来からの人材不足を解消しつつ、利用者へのサービス提供体制を強化しました。また、ツクイホールディングスはアカリエを買収することでICTの活用を促進し、人材の負担軽減を図りました。
結論として、介護業界のM&Aは単なる事業の売買にとどまらず、スケール化による経営効率向上、ICT化による生産性改善、人材確保による安定運営という3つの目的が重なり合って進められています。これらはすべて、今後さらに高齢化が進む社会において、介護サービスの質と供給を守るために欠かせない取り組みなのです。
4. 相場と評価:いくらで売れる/買えるのかを決める要素
簡易評価モデル(純資産+修正EBITDA×倍率)の使い方
訪問介護・デイサービスのM&Aにおいて、取引価格を決める代表的な方法が「純資産+修正EBITDA×倍率」という簡易モデルです。これは、会計上の資産・負債を時価で見直した純資産に、事業の収益力を示すEBITDA(税引前利益+利息+減価償却費)を加味して算定する方法です。
EBITDAは、現金の稼ぐ力を表す指標として世界的に用いられています。ただし介護事業の場合、経営者の役員報酬やオーナー企業特有の支出(家賃、車両費など)を修正し「修正EBITDA」として計算するのが一般的です。例えば経営者が実際の市場水準より高い役員報酬を受け取っている場合、その差額を利益に加算し、事業の真の収益力を算定します。
評価の流れを簡単に整理すると以下の通りです。
- 貸借対照表をもとに資産と負債を時価に修正する(純資産の算出)
- 過去3年間の営業利益に減価償却費・利息を加えてEBITDAを算出
- オーナー企業特有の支出を調整し「修正EBITDA」を求める
- 修正EBITDAに業界平均の倍率(一般的には3〜5倍程度)を掛ける
- 純資産と修正EBITDA×倍率を合算し、企業価値を推定する
厚生労働省「介護給付費等実態統計(令和5年度)」によると、介護サービス全体の市場規模は11兆円を超えており、訪問介護やデイサービスは安定需要が見込まれるため、倍率は相対的に高く評価されやすい傾向があります。
実例として、売上高5,000万円、修正EBITDAが1,000万円のデイサービスを想定すると、倍率3倍なら3,000万円、純資産が1,000万円であれば企業価値は4,000万円前後になります。このように、簡易評価モデルは交渉の出発点となる「たたき台」として非常に重要です。
相場を押し上げ/下げする実務要因(加算取得状況・在籍ヘルパー・稼働率・指定更新時期)
実際の取引価格は、計算式だけでなく事業の「実務要因」によって上下します。介護特有の評価ポイントとして、以下のような項目があります。
- 加算取得状況
処遇改善加算や特定事業所加算を安定的に取得している事業所は、収益基盤が強固で評価額が高くなります。 - 在籍ヘルパー数と資格構成
介護福祉士やサービス提供責任者が十分に在籍している事業所は、運営リスクが低く買い手にとって魅力的です。 - 稼働率
デイサービスでは定員に対して利用率が高いほど収益が安定し、評価額が上がります。訪問介護では効率的なシフト運営や移動時間の短縮が収益性向上の鍵となります。 - 指定更新の時期
介護事業は6年ごとに指定更新があります。直近で更新済みの事業所は行政リスクが低いため評価が高まり、逆に更新直前で課題を抱える場合はディスカウント要因となります。
例えば、ある都市部のデイサービスは定員40名に対して常時35名以上が利用しており、稼働率は87%を維持していました。さらに処遇改善加算を取得していたため、相場より高い倍率(4倍以上)が適用され、売却価格が大幅に上昇しました。
このように、相場は単純な財務数値だけでなく、現場の運営力や制度対応力によっても大きく変動します。
ネガ要因の織込み(監査・指導履歴、離職率、紹介動線の脆弱性)
M&Aの評価では、プラスの要因だけでなく「ネガ要因」をどう織り込むかも重要です。介護業界特有のディスカウント要因としては以下が挙げられます。
- 監査・指導履歴
行政からの監査や指導で改善命令が出ている場合、買収後に追加対応コストが発生するリスクがあります。 - 離職率の高さ
職員が定着せず離職率が高い事業所は、利用者サービスの低下や人材確保コストの増大を招き、評価額が下がります。 - 紹介動線の脆弱性
ケアマネジャーや地域包括支援センターとの関係が弱い場合、新規利用者の獲得が難しくなり、収益の先行きが不透明になります。
東京商工リサーチ「2024年介護事業者の倒産動向」によると、倒産要因の多くは「人材不足」と「利用者紹介の減少」によるものでした。これは、紹介動線や人材の安定確保がいかに評価に直結するかを示しています。
実際に、ある地方の訪問介護事業所は、過去に監査で加算の不正請求を指摘されており、その履歴がディスカウント要因となって相場より2割程度低い価格での譲渡となりました。このように、ネガ要因は単なるリスクではなく、実際の価格形成に直接影響を与えます。
総合的に見て、訪問介護・デイサービスのM&Aにおける評価は、簡易モデルで算出する数値に加え、現場運営の強みや弱みを丁寧に織り込む必要があります。加算や稼働率などのプラス要因をアピールしつつ、ネガ要因は事前に改善策を講じることで、より有利な条件で取引を進めることができるのです。
5. 手続きとスキーム:株式譲渡/事業譲渡の選び方
行政手続き・指定/加算・届出の実務論点
訪問介護・デイサービスのM&Aにおいて、株式譲渡と事業譲渡は大きな違いがあります。株式譲渡は会社そのものを引き継ぐため、介護事業所の指定や加算の権利もそのまま移転されます。一方で事業譲渡は、事業所を新たに運営する形になるため、指定申請や加算の再取得が必要となります。この点が、介護業界ならではの重要な実務論点です。
厚生労働省の「指定居宅サービス事業者の指定・更新手続き」によれば、介護保険事業を新たに開始する場合、管轄自治体への申請と審査を経て指定を受ける必要があります。通常、申請から指定まで1〜3か月を要するため、事業譲渡の際にはスケジュール管理が極めて重要です。さらに、特定事業所加算や処遇改善加算などは、申請が受理されるまで加算請求ができないため、収益計画に影響を与える可能性があります。
例えば、あるデイサービス事業所が事業譲渡を行ったケースでは、指定更新の時期と重なったため、譲渡から2か月間は加算が取得できず、売上が一時的に落ち込みました。しかし事前に自治体と調整を行い、指定手続きがスムーズに進んだ結果、3か月目以降は加算を含む請求が再開され、経営の安定を取り戻しました。
このように、株式譲渡は指定や加算の継続性が確保される一方で、事業譲渡は新規申請が必須となりリスクとコストが発生します。どちらのスキームを選ぶかは、行政手続きや収益への影響を十分に踏まえて判断することが求められます。
契約上の注意(表明保証・補償、クロージング前後の前提条件)
M&A契約においては、介護業界特有のリスクを踏まえた条項設計が欠かせません。特に重要なのが「表明保証」「補償」「クロージング条件」の3つです。
表明保証
売り手が「事業に重大な問題がないこと」を約束する条項です。介護業界では以下の内容が重視されます。
- 人員基準を満たしているか(介護福祉士やサービス提供責任者の配置)
- 加算を不正に取得していないか
- 監査や指導で重大な指摘を受けていないか
- 利用者や家族からの重大なクレームがないか
補償
もし表明保証に反する事実が発覚した場合、売り手が買い手に損害を補償する仕組みです。例えば、過去に加算請求の不正が発覚し、自治体から返還命令が出た場合、その返還額を売り手が負担する条項を入れることがあります。
クロージング前後の前提条件
クロージング(取引完了)の前に満たすべき条件を定めることも重要です。介護事業では以下のような条件が典型的です。
- 指定更新申請が無事に完了していること
- 主要な従業員(管理者・サービス提供責任者)が在籍していること
- 重要な取引先(居宅介護支援事業所や自治体)との契約関係が維持されていること
実際の事例では、ある訪問介護事業のM&Aで、クロージング条件に「サービス提供責任者が3名以上在籍していること」と明記されていました。これは、介護サービスの提供体制が崩れると指定が取り消される可能性があるためです。この条件により、買い手は人員体制のリスクを最小限に抑えることができました。
まとめると、介護事業のM&A契約では「法令遵守」「加算の正当性」「人員体制」の3点を中心にリスク管理を行うことが欠かせません。表明保証や補償を適切に設定し、クロージング条件を明確にすることで、取引後に想定外のトラブルが発生するリスクを減らすことができます。
全体として、株式譲渡は手続きの簡便さが魅力ですが、過去のリスクもそのまま引き継ぐ点に注意が必要です。一方、事業譲渡は新たな指定取得の手間があるものの、過去のリスクを切り離しやすいという利点があります。どちらのスキームが最適かは、行政手続きのタイミング、従業員・利用者への影響、そして契約上のリスク分担を踏まえて総合的に判断することが求められるのです。
6. DDの勘所:介護事業ならではの確認チェックリスト
人員基準・加算体制・勤務実態(シフト/記録/教育)
介護事業のデューデリジェンス(DD)で最も重要なのは「人員体制」です。訪問介護やデイサービスは、法律で定められた人員基準を満たさなければ指定が取り消されるリスクがあるため、買収検討時には必ず確認が必要です。
- 訪問介護:サービス提供責任者(常勤1名以上)と登録ヘルパーの数
- デイサービス:生活相談員、看護職員、機能訓練指導員の配置状況
- 全体:管理者が常勤専従で勤務しているか
また、加算の取得体制も確認が必須です。例えば「特定事業所加算」や「処遇改善加算」を安定的に取得できているかどうかで、売上・利益に数百万円単位の差が出ます。厚生労働省の「介護給付費等実態統計(令和5年度)」によれば、処遇改善加算を取得している事業所は全体の約9割に達し、加算の有無は事業評価に直結しています。
さらに、シフト運用や記録の方法も重要です。紙ベースで煩雑になっている場合、残業や人件費の増加要因となるため、買い手はICT導入余地を評価します。職員への研修や教育体制が整っているかも、離職率やサービス品質を左右する要素です。
例えば、ある訪問介護事業所では、サービス提供責任者が1名しか在籍しておらず、退職すれば基準を満たせなくなる状況でした。このリスクが発覚したことで、買収価格は相場より2割程度低く設定されました。
結論として、人員基準・加算体制・勤務実態の確認は、介護事業のDDで最も重要なチェック項目です。これらを満たしていない場合、事業継続自体が難しくなる可能性があるため、買い手は必ず詳細に確認すべきです。
収益ドライバー(稼働率・単価・送迎効率・居宅支援との関係)
介護事業の収益力を評価する上で、財務数値以上に注目すべきなのが「収益ドライバー」です。単なる売上や利益だけでなく、その背景にある現場の運営指標を確認することが不可欠です。
- 稼働率:デイサービスでは定員に対して利用者がどれだけ通っているか。一般的に80%を超えていれば安定経営とされます。
- 単価:加算の有無や利用者の介護度によって1人当たりの単価が変動します。平均単価が高いほど収益性が高い事業と評価されます。
- 送迎効率:送迎ルートが非効率だと人件費や燃料費が増加します。複数施設を持つ事業者は送迎の統合で効率化を狙うことができます。
- 居宅支援事業所との関係:ケアマネジャーからの紹介が安定しているかどうかで新規利用者獲得が大きく左右されます。
実例として、ある地方のデイサービスは定員40名に対して利用者数が常時20名程度しかなく、稼働率50%に留まっていました。この低稼働率が要因で赤字が続いており、M&Aの際には買い手から大幅なディスカウントを受ける結果となりました。一方で、別の事業所では稼働率90%以上、加算取得率も高く、ケアマネジャーとの関係が強固であったため、同じ売上規模でも相場より高値で売却されました。
結論として、介護事業の価値を見極めるには、稼働率・単価・送迎効率・紹介ルートといった収益ドライバーを丹念に確認することが重要です。これらを把握することで、将来的な収益改善余地やシナジー効果を正しく評価することができます。
コンプラ・個人情報・事故報告・監査指摘の履歴
介護事業は行政の監督下にあるため、コンプライアンス違反や事故報告、監査指摘の有無は評価に大きな影響を与えます。買い手は過去の記録を詳細に確認し、リスクを織り込む必要があります。
- コンプライアンス:労働基準法違反や不適切な勤務体制がないか
- 個人情報保護:利用者記録の管理体制が適切か(紙・システムのセキュリティ)
- 事故報告:転倒・誤薬などの事故が発生した際の報告と再発防止策が適切か
- 監査・指導履歴:行政からの指摘や改善命令が過去に出ていないか
厚生労働省「介護サービス事業所等に対する指導・監査結果(令和4年度)」によれば、監査を受けた事業所の約30%で何らかの指摘が行われています。中でも多いのが「記録不備」「加算要件未達」「人員配置基準違反」です。これらは買収後に返還請求や指定取消につながる可能性があるため、事前確認が不可欠です。
実際に、ある訪問介護事業所のM&Aでは、過去に加算請求の誤りがあり、数百万円の返還命令を受けた履歴がありました。この履歴はディスカウント要因となり、最終的に買収額は当初想定より大幅に下がりました。
結論として、介護事業のDDでは財務データだけでなく、コンプライアンス・事故報告・監査履歴の確認が不可欠です。これらを怠ると、買収後に予期せぬ負担が発生し、投資回収計画が崩れるリスクがあります。逆に、適切な体制が整っている事業は信頼性が高まり、買い手にとって安心できる投資対象となるのです。
7. PMI(統合作業):離職と送客減を防ぐ実装術
従業員・利用者・家族への周知と不安解消の順序
M&A後に最も注意すべきリスクの一つが「従業員の離職」と「利用者の送客減少」です。介護サービスは人材と利用者との信頼関係が基盤となるため、統合作業(PMI)において最初に行うべきは関係者への丁寧な周知です。
基本的な流れとしては以下の順序が望ましいとされています。
- 経営幹部・管理職への事前説明
- 従業員全体への説明会と質疑応答
- 利用者とその家族への個別説明と案内文配布
- 地域のケアマネジャーや居宅支援事業所への周知
厚生労働省の「介護人材の確保と定着に関する調査(令和4年)」によれば、従業員が退職を検討する大きな理由の一つは「将来への不安感」です。M&Aによる運営主体の変更は、従業員や利用者にとって大きな心理的負担となるため、早い段階で「雇用は継続される」「サービス水準は維持される」という安心材料を明示することが大切です。
例えば、あるデイサービスではM&A直後に職員への説明が遅れたことで、数名のベテラン介護職員が退職し、その結果利用者も数名減少しました。一方で別の事業所では、契約締結と同時に従業員説明会を実施し、家族向けに安心感を与える案内文を配布したことで、離職ゼロ・利用者減少ゼロを実現しました。
結論として、PMIの第一歩は「安心感の提供」であり、従業員・利用者・家族に対する段階的かつ丁寧な説明が統合作業の成否を分けるといえます。
シフト統合と負担軽減、記録のICT化、採用/定着の仕組み化
M&A後の介護事業では、複数拠点や異なる運営方式を効率的に統合することが求められます。特に重要なのは、シフト運営と記録方法の一体化です。
- シフト統合:複数事業所を抱える企業は、人材を横断的に配置することで欠員リスクを下げられます。ただし過度な異動は離職要因にもなるため、地域性や通勤距離を考慮した計画が必要です。
- 負担軽減:移動や残業が多い職場では早期離職率が高まります。送迎ルートや業務分担の見直しで職員負担を減らすことが効果的です。
- 記録のICT化:厚生労働省は「介護現場における生産性向上の取組(令和5年版)」で、記録のICT化によって介護職員の事務負担が1日あたり30分以上削減できた事例を紹介しています。紙からタブレット入力に移行するだけでも効率は大きく改善します。
- 採用・定着の仕組み化:処遇改善加算の活用や資格取得支援、キャリアパス制度の整備は、採用競争力を高め離職を防ぐ有効な施策です。
実例として、ある大手介護グループはM&Aで取得した事業所に統一的な勤怠管理システムと電子記録システムを導入しました。その結果、職員の残業時間は平均で月10時間減少し、離職率も2年で20%から10%へ低下しました。
結論として、PMIでは「現場の負担を減らす仕組み」を整えることが最重要です。シフトと記録の効率化、採用・定着策の制度化が、統合成功のカギとなります。
30/90/180日のKPIマイルストーン
統合作業は短期的な成果と中期的な定着の両方を意識して進める必要があります。そのために有効なのが「30日・90日・180日のKPI(重要業績評価指標)」の設定です。
期間 | 主な目標(KPI) |
---|---|
30日以内 | 従業員説明会の実施率100%、離職ゼロ、利用者・家族への周知完了 |
90日以内 | シフト運用の統合、ICT記録システムの導入、稼働率80%以上の維持 |
180日以内 | 採用・定着施策の実装、利用者数の安定増加、職員満足度調査の改善 |
このような段階的な目標設定は、経営層だけでなく現場スタッフにも「進んでいる感覚」を与え、モチベーション維持につながります。さらに、定量的なKPIを設定することで、投資回収の進捗管理もしやすくなります。
例えば、ある訪問介護事業所ではM&A後に「180日以内に利用者数を10%増加」という目標を掲げ、営業担当とケアマネジャーとの連携を強化しました。その結果、半年で利用者数が15%増加し、予定より早く黒字化を達成しました。
結論として、PMIは一度の施策で完結するものではなく、30日・90日・180日のマイルストーンを設け、段階的に成果を積み上げていくことが成功の条件です。
8. 成功事例の型:価値が伸びるM&Aの共通点
ドミナント強化で稼働率を底上げしたケース
訪問介護やデイサービスにおいては、稼働率が安定収益のカギを握ります。M&Aを通じて同じエリアに複数の拠点を持つ「地域ドミナント戦略」を実現すると、利用者の送迎効率やケアマネジャーからの紹介数が増え、結果的に稼働率を高めやすくなります。
厚生労働省「介護事業経営実態調査(令和4年度)」によれば、デイサービス事業所の収支差率は稼働率の高さに大きく依存しており、利用定員の80%以上を維持できる事業所は黒字化の割合が高いと報告されています。M&Aで拠点を集約することにより、利用者の振替や応援体制を構築できる点は大きな強みです。
例えば、関東圏で複数のデイサービスを買収した企業は、送迎車両を共通で運用し、利用者の重複予約にも柔軟に対応できる体制を整えました。その結果、3拠点平均の稼働率が70%から85%に上昇し、利益率も改善しました。
結論として、同一エリアでのドミナント展開はシナジーが出やすく、M&Aの成功モデルとして多くの介護事業者が採用しています。
記録・送迎最適化で人時生産性を改善したケース
介護現場では「人材不足」と「効率化」が常に課題となります。M&Aを契機にICTや送迎最適化システムを導入することで、人時生産性(従業員1人あたりの付加価値)を高める成功事例が増えています。
厚生労働省が進める「介護分野における生産性向上推進事業」では、ICTによる記録の電子化や送迎ルートの最適化が、職員1人あたりの業務時間を平均30分削減した事例が紹介されています。これにより利用者対応の質を落とさず、時間を有効活用できる点が評価されています。
ある中堅デイサービス事業者は、M&Aで取得した事業所に統一的なクラウド記録システムを導入しました。さらに送迎ルートをAIで自動作成する仕組みを取り入れたところ、送迎時間が20%短縮され、残業時間削減と稼働率向上を同時に達成しました。
結論として、M&A後に現場のICT投資を行うことで、人材不足の中でも持続的に事業価値を高めることが可能です。
訪看/福祉用具と連携しLTVを伸ばしたケース
M&Aの成功事例として注目されるのが、訪問看護(訪看)や福祉用具レンタルなどの周辺サービスと連携し、利用者のライフタイムバリュー(LTV)を伸ばしたケースです。介護ニーズは一つのサービスにとどまらず、段階的に複数のサービスを必要とするため、グループ内で包括的に支援できる体制が強みとなります。
国の「地域包括ケアシステム」の推進方針でも、医療・介護・生活支援が一体的に提供される体制整備が強調されています。デイサービスと訪問看護を併せ持つ法人は、利用者の状態悪化にも迅速に対応でき、結果的に契約継続率が高まる傾向にあります。
実例として、関西地方の事業者がデイサービスに加えて訪問看護ステーションをM&Aで取得しました。医療ニーズの高い利用者を紹介し合える体制が構築され、利用者1人あたりの利用単価が上昇。LTVは従来比で1.4倍に伸び、売上と利益の双方で大幅な改善が見られました。
結論として、単独事業ではなく周辺サービスとの連携を強化することが、M&Aにおける中長期的な成長のポイントです。
9. 失敗回避:よくある落とし穴と対策
キーパーソン離職、ケアマネ送客減、指定更新の見落とし
M&A後の最大のリスクは、現場の「人」と「制度」に関するものです。特に施設長やサービス提供責任者といったキーパーソンが離職すると、利用者やケアマネジャーとの信頼関係が一気に崩れます。結果として利用者数が減少し、収益悪化につながることが少なくありません。
厚生労働省「介護事業経営実態調査」でも、人材確保と定着は介護事業者の最大課題とされています。また、ケアマネからの紹介件数はデイサービスや訪問介護の利用者獲得の要となるため、M&A後に信頼が揺らぐと稼働率に直結します。さらに指定更新の手続きを見落とすと、事業そのものが継続できなくなる重大リスクがあります。
例えば、あるデイサービスを買収した企業では、M&A後に管理者が退職し、地域のケアマネからの紹介が激減しました。その結果、利用者数が半減し、想定していた収益シナリオが崩れました。対策としては、キーパーソンの処遇を事前に合意する、利用者・ケアマネへの周知を段階的に行う、指定更新のスケジュールをデューデリジェンスで確認するといった準備が不可欠です。
結論として、人材の離職や紹介動線の減少、制度更新の見落としを防ぐことが、M&Aを成功に導く第一歩です。
契約と実態の乖離、クロージング条件の詰め不足
介護事業のM&Aでは、契約内容と現場実態に乖離があるケースも失敗要因の一つです。表面上の数値だけを信じて契約すると、想定外の負債や稼働率低下、加算未取得などの問題が後から発覚することがあります。
特に株式譲渡の場合は、過去の法的リスクや未解決の監査指摘も引き継ぐことになるため、クロージング条件で明確に整理しておく必要があります。表明保証や補償条項を十分に定めずに契約すると、買収後に想定外のコストを抱える可能性が高まります。
実例として、訪問介護事業を取得した企業が、クロージング後に未処理の労務トラブルや監査是正命令を抱えていることに気づきました。契約で補償範囲が曖昧だったため、すべて買い手の負担となり、多額の追加コストが発生しました。このような事態を防ぐには、専門家を交えて実態調査を徹底し、契約段階でクロージング条件や補償を具体的に詰めておくことが必須です。
結論として、契約と実態の乖離をなくし、クロージング条件を明確にすることが、介護M&Aにおけるリスク回避の要となります。
まとめ
訪問介護・デイサービス分野のM&Aは、需要増と人材不足、制度改定を背景に一層加速しています。買い手にとってはスケールメリットや人材確保、売り手にとっては事業承継や成長機会の確保といった明確な利点があります。一方で、相場評価や加算体制、従業員・利用者への配慮を欠けば失敗のリスクも高まります。本記事で示した勘所を押さえることで、安心かつ価値あるM&Aを実現できるはずです。
- 需要増でM&Aは加速傾向にある
- 買い手と売り手に明確な利点がある
- 加算体制や人材定着が成功要因
- 相場評価と手続きを適切に行う
詳しく知りたい方は、ぜひアーク・パートナーズまでお問い合わせください。
