会社の「無料企業価値査定」はムダという話
「ネットで“無料企業価値査定”をしてみたけど、出てきた金額って本当に信用していいの?」「仲介会社に相談したいけど、騙されないか不安…」
そんな悩みを抱えている方へ、この記事は“無料査定”の裏側と、本当に信頼できるM&A支援の見極め方を丁寧に解説します。
■本記事を読むと、以下の3つがわかります。
- ネット査定が信用できない理由とその仕組み
- M&A仲介会社の営業トークに潜むリスク
- プロが重視する本当の企業価値評価の考え方
本記事の執筆者は、中小企業庁登録のM&A支援機関であり、10年以上の実務経験と200件以上の成約実績を持つ現役M&Aアドバイザーです。現場のリアルを知り尽くした視点から、机上の空論ではない「使える知識」を提供します。
この記事を最後まで読めば、甘い言葉に惑わされず、あなた自身が「納得できる売却」に向けて正しい一歩を踏み出すことができるはずです。
1.ネットの「会社売却額査定」はなぜ信用できないのか
1.1 決算書と業種だけでは価値はわからない理由
インターネット上で見かける「会社の売却額を3分で無料査定」というサービスは、多くの方にとって魅力的に映るかもしれません。しかし、実際には「決算書の数字」と「業種」だけで会社の正確な価値を知ることはできません。なぜなら、企業価値を構成する要素は非常に多岐にわたり、財務データや業種分類だけでは見えてこない要素が山ほどあるからです。
たとえば、会社の将来性、ブランド力、従業員のスキル、ノウハウ、取引先との関係、立地条件、競合環境など、目に見えない経営資源が企業価値に大きな影響を与えます。決算書には過去の売上や利益は記載されていますが、将来の収益性や市場の成長可能性といった重要なファクターは一切含まれていません。
また、同じ業種に属していても、事業モデルや収益構造は企業ごとに大きく異なります。たとえば「飲食業」といっても、回転率重視のファストフードと高単価の高級レストランでは、M&A市場における価値の付き方がまるで異なります。
中小企業庁が公表する「事業引継ぎ支援の実態調査(2022年度)」でも、買収を検討する際に最も重視される情報として「将来の収益見通し」や「事業の独自性・強み」が挙げられています。これらの情報は、決算書や業種データからは導き出せないものです。
実際の現場でも、同じような売上・利益規模の会社であっても、後継者がいるか、キーパーソンが残るか、業界の動向がどうかなどで、買い手の反応がまったく異なることがよくあります。定量データだけで測れる世界ではないのです。
したがって、決算書の数字と業種を入力するだけで企業価値が出てくるという考えは、現実的とは言えません。会社の価値を正しく見極めるには、実地調査や詳細なヒアリングをもとに、事業の中身を深く理解するプロセスが不可欠です。
1.2 簡易査定のロジックが成り立たないワケ
簡易的な査定ツールは、主に「過去の利益水準×業界ごとの倍率」という単純な計算式に基づいています。この手法は「収益還元法」や「マルチプル法」と呼ばれる評価方法の一部を切り取ったものですが、あくまで参考値であり、実態を正確に反映するものではありません。
たとえば、同じく年商1億円で利益が1,000万円の会社が2社あったとしても、以下のような違いがあると、査定結果には本来大きな差が出るべきです。
項目 | 会社A | 会社B |
---|---|---|
所在地 | 東京23区・駅近 | 地方郊外 |
従業員構成 | 若手中心で定着率高い | 高齢化が進み離職率高め |
主力顧客 | 大手上場企業との長期取引 | 個人客中心・単発取引 |
将来の成長性 | 新サービス展開で売上拡大中 | 業界縮小傾向で伸び悩み |
上記のような差があるにもかかわらず、簡易査定ツールではこれらが反映されません。結果として、本来の企業価値を大きく誤認してしまう恐れがあります。数字が客観的に見えるからこそ、誤った査定が与えるインパクトは大きく、買い手との信頼関係を損ねるリスクもあります。
また、仲介会社によっては、こうした査定ツールを集客目的に使用しているケースもあります。つまり、「無料で査定しますよ」と呼び込んでおいて、査定額の信憑性にかかわらず売り手との契約を取り付けるという構図です。これは、真に誠実なM&A支援とは言えません。
M&Aでは、売り手の企業にとって「いくらで売れるか」だけでなく、「誰に、どんな条件で、どう引き継いでもらえるか」が極めて重要です。単なる数字合わせではなく、将来を見据えた本質的な支援が必要とされます。
以上のように、決算書と業種のデータだけをもとにしたネット査定は、企業の本質的価値を正しく評価できる仕組みではありません。正確な企業価値を把握するには、専門家によるヒアリングと個別事情を踏まえた総合的な分析が不可欠です。
2.事業価値は何で決まる?プロが見る本当の評価ポイント
2.1 将来の利益(キャッシュフロー)の重要性
企業の価値を正しく評価する上で、最も重視されるのが「将来の利益」、すなわち将来的にその会社がどれだけのキャッシュフローを生み出すかという点です。これは単なる過去の実績ではなく、今後の事業展開や成長戦略を反映した予測によって判断されます。
企業買収の目的は「投資対効果」を得ることにあります。買い手は、買収に要する費用を、将来的に得られるキャッシュフローで回収できるかを最も気にします。例えば、年1,000万円のフリーキャッシュフローが今後10年間続くと予想されれば、その価値は単純計算でも1億円以上と考えることができます。
中小企業庁が公開した「中小企業白書(2022年版)」でも、M&A時の重要な評価軸として「将来の収益性」が上位に挙げられています。単年度の利益ではなく、中長期的な収益力を重視する傾向が強まっていることがわかります。
実際の現場では、以下のような要素が将来のキャッシュフローに大きく影響します。
- 業界全体の成長性や市場規模の動向
- 競合優位性(例:シェア、技術力、ブランド)
- 顧客基盤の安定性と継続性
- 価格交渉力の有無
- コスト構造の柔軟性
たとえば、ITシステムを活用し省人化を実現している会社や、ストック型の収益モデル(例:月額課金ビジネス)を展開している企業は、将来的なキャッシュフローの見通しが安定しており、高い評価を受けやすくなります。
一方で、特定の顧客依存が強すぎたり、リピート性が低いビジネスモデルは、将来の利益が読みづらいため、評価が低くなる可能性があります。特に新規受注依存型の業態では、翌年度の売上が不確定であるため、買い手にとってのリスクが高まります。
このように、M&Aにおいては単年の売上や利益ではなく、どれだけ安定的に・長期的に利益を生み続けられるか、が本質的な評価軸です。過去の成績はその参考資料にすぎず、未来をどう描けるかが鍵となるのです。
2.2 経営資源という“見えない資産”
企業価値の評価では、「見える数字」だけでなく、「見えない資産」である経営資源も重要な判断材料となります。経営資源とは、企業が保有する人材、ノウハウ、取引関係、ブランド、立地、組織文化など、会計帳簿には載っていないけれども、企業活動の競争力の源泉となる要素です。
たとえば、以下のような経営資源は、買い手から高く評価される傾向があります。
- 技術力の高いエンジニアチームや特許保有
- 長年継続している大手顧客との取引
- 業界内で高い認知度を持つブランド力
- 駅前の希少な立地や、都心にある自社ビル
- 現場主導の改善文化や高い従業員定着率
こうした経営資源は、貸借対照表にも損益計算書にも現れませんが、企業価値に大きな影響を与えます。M&Aにおいては、これらの資産が「引き継ぎ可能」であるかどうかもポイントになります。例えば、キーパーソンの退職が決まっている場合、その人的資源の価値は大幅に減少する可能性があります。
「中小企業のM&Aにおける成功要因分析(中小企業基盤整備機構)」でも、成功案件の多くに共通していたのは「定性的な経営資源の高さ」であるとされています。つまり、財務上は平凡な数字でも、経営資源が優れていれば高く売れるという事例が多くあるのです。
実例として、ある地方の物流会社では、売上規模は年商3億円で利益率も平凡でしたが、以下の経営資源を評価され、想定以上の価格で成約しました。
評価された経営資源 | 具体的な内容 |
---|---|
安定した取引先 | 上場企業2社との長期契約 |
ドライバーの定着率 | 10年以上勤務者が全体の60% |
地域独占の配送ルート | 競合が少なく安定収益 |
このように、財務諸表では判断できない価値が、実は買い手にとっての魅力であり、価格決定に直結する要素なのです。経営資源の価値を正しく伝えるためには、M&Aアドバイザーとの綿密なヒアリングや資料作成が不可欠です。
最終的に企業価値は「将来の利益を生み出す力」と「それを支える経営資源」の両面で判断されます。数字の上では目立たない会社でも、優れた人材やノウハウ、独自の強みを持っていれば、想像以上の価値がつく可能性があるのです。
3.決算書に載っていない「価値の本質」を理解しよう
3.1 なぜ数字だけでは判断できないのか
企業の価値を測る際、最初に確認されるのが決算書です。しかし、決算書に書かれているのはあくまで「過去の数字」であり、将来の成長性や隠れた強みといった“価値の本質”は表れていません。たとえば、売上や利益が安定している企業でも、経営者のリーダーシップや現場の士気、特定の顧客との信頼関係といった要素は数値化できないにもかかわらず、M&Aでは極めて重要なポイントです。
特に中小企業では、経営者の力量や個人的ネットワークに依存している部分が大きく、数値上の業績だけを見て判断すると、実態とかけ離れた評価になってしまう可能性があります。また、従業員のスキルや組織の柔軟性、新規事業への対応力なども、財務諸表では見えてきません。
たとえば、以下のような要素は企業の将来性に直結するにもかかわらず、決算書には現れない“非財務的情報”です。
- 従業員の能力・定着率・チームワーク
- 特許・技術力・独自ノウハウ
- 業界内での評判・ブランド力
- 新規事業の開発状況
- サステナビリティへの取り組み
中小企業庁の「中小M&Aハンドブック」においても、企業価値の評価にあたり、非財務情報の重要性が明記されています。財務数値のみに基づく評価では、M&Aの失敗リスクが高まると指摘されており、特に買い手にとっては、見えないリスクをどこまで把握できるかが成否を分けるカギになるとされています。
実際のM&Aの現場では、決算書だけで判断して交渉を進めた結果、後になって人材の流出や経営陣の急な退任、顧客離れといった問題が発覚し、買収金額の見直しや破談に至る事例もあります。これは、決算書に現れないリスクを見落としていたことが原因です。
つまり、決算書はあくまで「出発点」であり、企業の全体像をつかむためには、数値に表れない部分のヒアリングや現場の観察が不可欠です。経営者やキーパーソンとの面談を通じて、その企業の文化や価値観、将来のビジョンを確認することが、実態に合った価値判断につながるのです。
3.2 決算書をどう活かすべきか
では、決算書は無意味なのかというと、決してそうではありません。むしろ、企業の財務状況を把握する上で、決算書は極めて重要な資料です。ただし、それを「どう読むか」「どう活かすか」がポイントになります。
決算書で特に注目すべきなのは、以下のような項目です。
項目 | 注目ポイント |
---|---|
損益計算書(PL) | 過去の利益水準と収益構造の安定性 |
貸借対照表(BS) | 資産構成と負債のバランス、純資産の厚み |
キャッシュフロー計算書(CF) | 営業・投資・財務の資金流れの健全性 |
また、単年度だけでなく、3~5年分の推移を見ることで、経営の安定度や成長性を読み取ることができます。特に、以下のようなトレンドは、M&Aの評価に大きく影響します。
- 売上や利益の右肩上がり傾向
- 借入依存度の低下や返済能力の向上
- 従業員数や固定資産の増減とそれに見合う成果
重要なのは、数値を「そのまま」見るのではなく、「なぜこの数字になっているのか」「背景にどんな事実や戦略があるのか」を読み取ることです。そのためには、決算書と経営者ヒアリングをセットで行うことが必要です。
さらに、特別損益や役員報酬、家族従業員への給与、交際費など、オーナー経営特有の要素を調整した“実質的利益(いわゆる修正EBITDA)”を算出することも、企業価値評価では一般的です。これにより、経営の私的要素を排除し、買い手が実際に引き継いだ後の利益水準を予測しやすくなります。
ある地方の製造業の事例では、3期連続で経常赤字の決算書を見た買い手が一度は興味を失いました。しかし、詳細に確認したところ、大規模な設備投資や社長の個人支出を含む交際費などの影響で、一時的な赤字に過ぎないと判明しました。その後、修正後の利益をもとに再評価され、想定以上の価格で売却が成立したのです。
このように、決算書は重要な情報源であり、使い方次第で大きな武器になります。数字だけを見て判断するのではなく、その裏にあるストーリーや背景を掘り下げることで、買い手との信頼関係も築きやすくなります。
総じて、企業価値の評価においては、「決算書だけでは不十分だが、決算書なしでも困難」というバランスが求められます。定量と定性、数字と現場感覚の両方を踏まえた判断こそが、M&A成功の鍵を握っているのです。
4.「業種」では語れない会社の違い
4.1 同業種でも価値が大きく異なる理由
M&Aの現場では、企業の売却を検討する際に「同業他社の平均的な倍率(マルチプル)をかけて企業価値を算定する」という手法がよく使われます。しかし、同じ業種に属していたとしても、企業ごとの事業モデルや収益構造、内部の経営資源、将来性はまったく異なるため、安易な業種ベースの評価は非常に危険です。
たとえば「小売業」という業種をとっても、その中には以下のように大きく異なるビジネスがあります。
業種分類 | 代表的な事業モデル | 特徴 |
---|---|---|
スーパーマーケット | 生鮮食品中心・地域密着型 | 鮮度と物流、立地が重要 |
ドラッグストア | 医薬品・日用品の量販 | 仕入と価格競争力がカギ |
コンビニエンスストア | フランチャイズ型・24時間営業 | 立地とオペレーションの精度が重要 |
高級専門店 | 高単価・顧客体験重視 | ブランド力と接客品質が差別化要因 |
このように、同じ「小売業」でも、利益率や運営コスト、リピーター率、成長可能性などが大きく異なります。業種名だけを見て、簡易的に倍率を当てはめて企業価値を算定することは、現場を知らない評価方法といえるでしょう。
中小企業庁の「事業引継ぎ支援の手引き」でも、業種分類による一律評価の限界が指摘されており、特にサービス業や小売業など、人的要素や立地条件に左右されやすい業態では「個別要素の精査が必須」とされています。
たとえば、都心一等地にある美容サロンと、郊外の商業施設に入っている美容サロンが、同じ売上規模だった場合でも、企業価値はまったく異なります。前者は立地による集客力やブランド効果が高く、買い手にとって即効性のある投資ですが、後者は将来的な集客リスクや競合の影響を強く受けます。
業種名ではなく、「どのような事業特性があるのか」「その会社特有の競争優位性は何か」という視点で見なければ、実態を正確に捉えることはできません。特にM&Aでは、買い手の視点に立った評価が重要となります。
4.2 勝ち組・負け組で価値に差が出る仕組み
同業種の中でも、「勝ち組」と「負け組」の差は、企業価値に大きく影響します。たとえ同じ業種・同じエリアであっても、以下のようなポイントによって、企業が高く評価されるか、そうでないかが大きく分かれます。
- 市場シェアの規模と拡大傾向
- 価格競争に巻き込まれないブランド戦略
- 優良な従業員の確保と定着率
- 収益構造の安定性と再現性
- 既存顧客との強固なリレーション
たとえば、飲食業界で同じラーメン店チェーンでも、A社はインフルエンサーとのコラボで集客を強化し、フランチャイズ展開で急成長しているのに対し、B社は地域密着で固定客はいるものの成長性に乏しいという場合、当然ながらA社のほうが高く評価されます。
さらに、買い手側が重視するのは「今後も同じように利益を出せるかどうか(再現性)」です。勝ち組企業は、属人的でない業務設計やマニュアル化されたオペレーションを構築しているケースが多く、買収後の運営がしやすいと判断されます。一方、負け組企業は、経営者の個人スキルや人脈に依存していることが多く、引継ぎの難易度が高いと敬遠されがちです。
日本政策金融公庫の調査「中小企業の事業承継に関する実態調査(2023年)」でも、買収希望企業の選定理由として「安定的な利益が出ている」「競合が少ない」「地域での評判が良い」など、業績や地域ブランドが評価要因として挙げられています。
ある建設会社の事例では、同じ公共工事を請け負う2社が売却を検討しました。A社は5年間で売上が2倍になっており、元請との強い信頼関係を築いていました。B社は同規模の売上でしたが、毎年赤字ギリギリで下請構造に依存していました。結果、A社は希望額よりも高い価格で売却され、B社は買い手が見つからず断念という結果になりました。
このように、同じ業種・同じエリアでも、日々の経営努力によって「企業の格差」は広がっており、企業価値にも如実に反映されます。表面的な分類だけでなく、競争力や再現性、将来の成長可能性まで踏まえた「企業の中身」で評価されることが、M&Aの世界では常識なのです。
5.M&A仲介会社がネット査定を使う本当の理由
5.1 情報弱者を狙った契約戦略とは
M&A仲介会社の中には、「たった数項目を入力するだけで、あなたの会社の売却額がすぐにわかります」といったネット査定ツールを設置しているところがあります。こうした簡易査定は、実際には正確な企業価値を示すことは不可能であるにもかかわらず、あえて導入されているのは、M&A初心者や情報リテラシーの低い経営者を集客し、契約につなげる目的があるからです。
M&Aという言葉には、どうしても「専門的で難しい」「情報が不透明」というイメージがあります。そこに「無料」「簡単」「すぐにわかる」という言葉が加わると、不安を抱える経営者にとって魅力的に映るのは当然の心理です。この心理を逆手に取るように、ネット査定はマーケティング手法として設計されています。
特に注意すべきなのは、その査定額に根拠がないにもかかわらず、「高く売れそうです」と期待だけを煽るような営業トークです。中には、実際の企業価値より大きく上回る査定額を提示し、売り手の気を引いて専任契約を結ばせる手法も見られます。これは「情報非対称性」を利用した戦術であり、情報弱者が狙われやすい仕組みです。
国の制度上も注意喚起が行われています。たとえば、中小企業庁の「M&A支援機関登録制度」においても、「適正な説明責任を果たしていない事業者」や「誇大な表現による営業活動を行っている仲介者」に対しては、登録取消や公表の対象とすることが定められています。
実際の現場でも、ネット査定経由で契約した売り手が「話が違う」「放置されている」と不満を抱えるケースは後を絶ちません。ある飲食店経営者は、ネットで「3,000万円で売れる」と表示されたため相談したところ、後に「実際は買い手がいませんでした」と放置され、最終的に閉業という苦い経験をしています。
このように、ネット査定の裏には営業戦略としての意図があることを理解する必要があります。本来、企業価値の算定には詳細な資料確認や経営者へのヒアリングが欠かせないため、「数分で出せる査定額」に信ぴょう性はありません。むしろ、その気軽さの裏にある「売り手囲い込み戦略」にこそ注意が必要です。
5.2 なぜ売り手集めに必死なのか?
M&A仲介ビジネスは、基本的に「売り案件の仕入れ」が収益の起点です。どれだけ優れた買い手がいたとしても、売り手がいなければ取引は成立しません。そのため、仲介会社は売り手をいかに多く確保できるかが、ビジネスの成否を分けると言っても過言ではありません。
とくに近年、M&A市場の拡大とともに仲介会社の数も急増し、売り手の奪い合いが激化しています。その結果、多少無理な営業手法でも、契約数を優先する傾向が見られるようになってきました。ネット査定は、その代表的な“入り口戦略”と位置づけられています。
この背景には、仲介会社の多くが「専任契約」にこだわるという事情もあります。専任契約とは、その仲介会社を通じてしか売却活動ができない契約形式であり、一度契約すれば他社に相談できなくなるという側面があります。売り手を「囲い込む」ことができるため、仲介会社にとっては非常にメリットが大きいのです。
また、仲介会社の報酬体系は「成功報酬型」であることが多く、売却が成立しない限り収益が発生しないという特性があります。そのため、成功の可能性が高い「売れそうな案件」をできるだけ多く契約しておくことが、経営的にも必須の戦略なのです。
以下のように、売り手の案件確保によって仲介会社の利益構造が成り立っていることがわかります。
ビジネス要素 | 仲介会社にとっての意味 |
---|---|
ネット査定 | 売り手集客の入口 |
高額な査定額 | 契約を獲得するためのフック |
専任契約 | 案件の独占・囲い込み |
案件選別 | 売れない案件は放置 |
成功報酬 | 売却成立で収益化 |
ある専門商社の経営者は、ネット査定で「おおよそ1億円」と表示された後に契約を結びましたが、3カ月後「やはり買い手が見つかりません」と連絡があり、それ以降一切動きがなかったといいます。仲介会社は「当社では需要がなかった」と説明しましたが、実際は買い手へのアプローチすらしていなかったことが後に判明しました。
このような実態があるため、売り手にとっては「案件として扱われているかどうか」を常に確認し、必要であれば契約解除も含めて判断する姿勢が重要です。売却の成功は「いい仲介者に出会えるか」にかかっているため、ネット査定のような簡易的な接点で判断せず、信頼性や支援体制をしっかり見極めることが不可欠です。
6.仲介会社の収益構造と「放置されるリスク」
6.1 「売れない会社」を放置する理由
M&A仲介会社のビジネスモデルは、基本的に「成功報酬型」です。つまり、売却が成立して初めて報酬が発生するため、仲介会社としては効率的に「売れそうな案件」を優先したいというインセンティブが働きます。逆に言えば、売れる見込みが低い会社に対しては、積極的な営業活動や買い手探しが後回しにされる、あるいは事実上放置されるリスクが高いのです。
売れないと判断される理由はさまざまあります。たとえば、以下のような特徴を持つ会社は、仲介会社の優先度が下がる傾向があります。
- 財務内容が悪く赤字が続いている
- 属人的な経営に依存しており引継ぎが困難
- 買い手にとっての魅力的な経営資源が乏しい
- 業種やエリア的に需要が少ない
- 売却希望額が相場よりも高すぎる
こうした案件に対して仲介会社が手間と時間をかけたとしても、成約に至らなければ収益にはなりません。さらに、売却活動には買い手リストの精査や提案資料の作成、面談の調整など、見えないコストが多く発生するため、「見込みの薄い案件」に対して動かない=放置という戦略的選択が行われるのです。
実際、中小企業庁が公開した「中小企業の事業承継に関するアンケート(2021年)」でも、仲介会社と契約したにもかかわらず「途中から連絡が途絶えた」「提案が一切こなかった」といった不満の声が多数寄せられています。これらの多くが、「売れない案件」と判断された結果と推測されます。
ある飲食業のオーナーは、ネット査定経由で仲介会社と専任契約を結びましたが、「3ヶ月後にまた連絡します」と言われたきり音信不通になりました。その後、自分で調べて別の仲介者に相談したところ、「このエリアと業態では需要が少ないため、買い手が現れるには戦略の再構築が必要」と初めて正直な説明を受けたと語っています。
このように、仲介会社は案件ごとに「売れるかどうか」を見極めて動いており、その判断により対応の濃淡が変わるのが現実です。売り手としては、「契約した=動いてくれている」と思い込まず、定期的に活動状況を確認し、進展が見られない場合には契約見直しも視野に入れることが大切です。
6.2 売れる会社を見抜く手法と狙い
仲介会社は「売れやすい会社」の特徴を熟知しており、そのような案件を重点的に扱うことで、収益性を最大化しています。売れる可能性が高いかどうかを見極める際、仲介会社が注目する主なポイントは以下のとおりです。
- 営業利益やキャッシュフローが安定して黒字である
- 優良な取引先との長期的な関係がある
- 従業員の定着率が高く、チームで機能している
- 立地や設備に独自の価値がある
- 経営者が引退後の引継ぎに柔軟である
これらの要素は、買い手にとって「買収後の不確実性が低く、安定して収益が見込める」と判断されやすく、結果として早期に成約へとつながる傾向があります。そのため、仲介会社としても「投資効果の高い案件」として最優先で取り組むことになります。
また、案件発掘の段階でも、仲介会社は初期ヒアリングで売り手の情報を収集し、裏でスコアリングを行っているケースがあります。たとえば、「3年連続黒字+無借金+20代後継候補あり」といった項目を満たす案件は、高評価とされ、内部で「Sランク案件」として扱われることもあります。
ある製造業のケースでは、創業30年の黒字企業であり、業界でもニッチな技術を保有していたため、仲介会社は契約直後から複数の買い手にアプローチを実施。わずか1ヶ月で4社から意向表明があり、最終的には初回提示額より20%高い価格で成約に至りました。これは「仲介会社が本気で動いた案件」の典型例です。
このように、仲介会社は「成果につながる案件」に対しては極めて積極的に動き、「成果につながらない案件」は様子見または棚上げするという傾向があります。その結果、売り手側が「放置されている」と感じるケースが生まれてしまうのです。
つまり、仲介会社の動きの差は、その会社の“売れやすさ”という収益性の観点から合理的に判断されているのです。売り手としては、自社がどう評価されているかを客観的に把握し、場合によっては第三者のアドバイスを受けながら、改善や方針転換も検討することが成約への近道となります。
7.安易な仲介契約が生むトラブルとその回避法
7.1 専任契約のリスクとは
M&A仲介会社と売却相談をする際、多くの場合に提示されるのが「専任契約」です。これは、一定期間にわたってその仲介会社だけに仲介を任せるという契約で、他の業者を使ったり、自社で買い手を探したりすることが制限されます。一見、専任体制で動いてくれるように思えますが、安易に結んでしまうことで、さまざまなトラブルの原因になるリスクが潜んでいます。
まず最大のリスクは、「動いてくれない仲介会社」に当たってしまった場合でも、契約期間中は他の会社に切り替えることができない点です。たとえば、契約期間が6ヶ月だった場合、その間に仲介会社が十分に買い手を探してくれなかったとしても、契約が終わるまで手出しができず、貴重な時間を無駄にしてしまうことになります。
さらに注意すべきは、「囲い込み」の問題です。これは、仲介会社が自社の手数料を確保するため、他の仲介会社を排除し、自社経由での成約にこだわるあまり、買い手情報を制限したり、売り手にとって有利ではない条件でも無理に進めようとする行為です。これにより、売却の選択肢が狭まり、より良い条件を逃す恐れがあります。
国のガイドラインでも、こうした囲い込み行為に対する懸念は明記されています。中小企業庁が策定した「M&A支援機関登録制度」のガイドラインでは、「売り手および買い手に対し公正かつ中立な情報提供を行うこと」が求められており、囲い込みや情報の意図的な隠蔽は不適切とされています。
実際に起きた事例として、ある地方の製造業者が、ネット査定を経由してある仲介会社と専任契約を締結しました。しかし、3ヶ月が経っても買い手紹介はゼロで、連絡もほとんど来なくなったため、契約解除を申し出ました。ところが契約条項には「自己都合による中途解約は違約金50万円」と明記されており、やむなく残りの契約期間を放置され続けたというケースがあります。
このようなトラブルを回避するためには、契約前に以下のポイントをしっかり確認することが重要です。
- 契約期間の長さと中途解約時の条件
- 「専任」か「非専任(一般契約)」かの区別
- 進捗報告の頻度と方法
- 買い手探索の方針と対象エリア
- 囲い込みを防ぐための情報共有ルール
とくに中途解約については、口頭だけでなく契約書面に明記されているかを確認し、「途中で変えたくなったらどうなるか」を想定しておく必要があります。
7.2 「騙された」と感じる前にすべき行動
M&Aの世界では、「騙された」「こんなはずじゃなかった」と感じる売り手が後を絶ちません。そう感じたときにはすでに手遅れとなっているケースも多いため、契約前後で冷静にチェックすべき点を押さえておくことが、自衛の第一歩です。
まず、仲介会社を選ぶ際には「数字や期待を煽るだけの営業トーク」ではなく、「実務経験が豊富で、デメリットも正直に伝えてくれるかどうか」を重視すべきです。たとえば、「この会社なら数ヶ月で1億円で売れます」といった断定的な言葉は警戒サインです。本当に誠実な仲介者であれば、不確実性やリスクについても率直に説明してくれるはずです。
次に、契約後は「情報がきちんと開示されているか」「進捗報告が定期的にあるか」をチェックすることが大切です。何も報告がない、提案が来ない、質問に答えてくれないといった状況が続く場合は、契約を見直す判断も必要です。
さらに、次のような点を定期的に自己点検すると、早期に異常を察知できます。
チェック項目 | 確認のポイント |
---|---|
買い手提案の有無 | 少なくとも月1回以上の提案があるか |
進捗報告 | 定期的な連絡があるか、内容が具体的か |
交渉の透明性 | 条件交渉の経緯を共有してくれるか |
売り手の意向反映 | 希望条件や懸念点をきちんと聞いてくれるか |
第三者の意見 | 必要に応じて弁護士・税理士に相談しているか |
実際に、途中で信頼できる弁護士に契約内容を相談し、違約金なしで契約を解除できたケースもあります。また、最近では「M&Aトラブル110番」や中小企業庁の相談窓口など、第三者の支援も整ってきていますので、「おかしい」と感じたら早めに相談することが重要です。
安易な契約を避け、常に「自分の意思で進める姿勢」を持つことが、M&Aにおける失敗リスクを大きく下げるポイントです。仲介者任せにせず、売却の目的や条件を明確に持ち、契約内容をしっかり理解したうえで進めることが、トラブル回避の鍵となります。
まとめ
ネット上で提供されている「無料企業価値査定」は、一見便利に見える一方で、多くの落とし穴が存在します。本記事では、企業価値の本質や仲介会社の営業構造を通じて、正しい判断軸をお伝えしました。M&Aを成功に導くためには、短絡的な数字よりも、深い理解と信頼できる支援者の存在が欠かせません。
- ネット査定に信頼性はない
- 価値は将来性と資源で決まる
- 専任契約には注意が必要
- 仲介の姿勢を見極めるべき
- 数字の裏側を理解すること
安易な判断で後悔しないためにも、まずは正しい知識と信頼できる相談先を持つことが第一歩です。詳しく知りたい方は、ぜひアーク・パートナーズまでお問い合わせください。
